【考察】“分かりやすい”が求められる時代

先日、知人のYさんがこんなことを言っていました。

「中学生くらいの子までは分かりにくいってあんまり言わない。大学生あたりから急に言い出すんですよね。」

へぇ~と思いつつ、先程ちょっと仮説が立ったので備忘録的に書かせていただこうかと思います。

結論から言うと、おそらく大学受験が原因だと思います。高校受験くらいまでだと、分かりやすいよりガンガン詰め込んでしまうようなカリキュラムで、覚えているかどうかで受験の結果は大体決まると思います。もちろん大学受験もそうなんですしょうけど、大学受験の場合メンタル面でのプレッシャーが変わるんですよね。瀬戸際というか、もう後がないというか、ほとんど宗教のレベルで重要視しています。妄信ですよね。そこに対して、またそんなことはない、受験の丸暗記は思考能力を低下させるなどの程度の低い反論が蔓延るわけですけど、そこは置いておきましょう。一つだけ言っておかないといけないことは、考えるということはあくまで基本的な知識が頭にあるから実を結ぶ行為なのであって、それがないまま考えるとナルシズムに陥るだけの場合が多くなると思います。

さて、話を戻しましょう。要するに、大学受験は失敗が許されないというのが前提なんですね。しかも、文科省認定の教科書はとにかく眠くなる。しかし、受験戦争に勝つには「わからない」ということはとにかく少なくしなければいけない。受験中に質問するわけにも行きませんからねw 結果的に、「分からない」ということはあまり言えなくなる状況に立たされるのだと思われます。そうなると、最初から分かりやすいものに流れるのことは自明です。 それが僕たちの頭の中に、分かりやすいことは良いことだという先入観を植え付けているのではないでしょうか。

受験勉強した人ってなんやかんやで自分はまともだと思っていたりすることが多いです。でも現実は、勉強する時間にフラフラ遊び歩いているのがほとんどです。学生団体というにわかの社会活動をする人もいますが、社会活動する時点で学生かどうかって関係ないって言ってる人見たことないですね。だったらインターンでもした方が良い。企業も就活なんて無駄なことする必要ないじゃないですか。勉強不足のまま社会人になっている人は当然社会がどう動いているのか気になってるけど分からない。分からないとは今更言えない。クビになりますからね。だからわかったフリをする。そこで現れたのが池上彰さんなのかなとww 僕自身、「そうだったのか」シリーズはちょくちょく目を通して現代史とか確認するのですが、単純に考えると大学受験の参考書に近いんですよね。それを分かりやすい、新社会人向けのモノとして上手くニュースとつなげている気がします。この方法はとても素晴らしいのですが、逆に言えば受験以降どれだけの人がまともに世の中を見てこれていなかったのか、見ようとしてこなかったのか、その割に文句とかは付けているので自分は考えていると思っていたのか、そういうことが露呈しているのではないかという気もします。ここを一人一人が自問自答することが求められているのだと思います。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。