月別アーカイブ: 8月 2012

今週のガイアの夜明け スペイン現状メモ

平均失業率24,6%(若年層5割越え)

2000-2010:EU内に1200万人移民流入。
(スペインは450万人。人口の1割が移民)

3600万のマンション→1100万へ下落
銀行が無職の人間に収入があるよう偽の証明書を作るようにアドバイス。
2009〜強制退去 185,000世帯。

移民の行き先=アルゼンチン
カタルーニャ会館(移民に仕事斡旋)

スペイン文化=毎年昇給!

ギリシャ ピレウス港の期限付き運営権を売却。
中国コスコ(35年期限)購入
→アフリカへのアクセス。これからさらに資源を持っていかれる?

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東大、可視光吸収力9倍の増感剤を開発-水から水素1500倍発生

東大、可視光吸収力9倍の増感剤を開発-水から水素1500倍発生

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0720120809eaac.html

色々と妄想が膨らむような素晴らしい発見!日本の技術ってこういうキッカケができるとそれをブラッシュアップするのが天才的ですし、もっと効率が良くなるんじゃないかと言う気がしてならないですね。原発が事故った当時、僕はまだ原発事故がどういうものなのか分からず、その後数か月で一気に勉強して、大体素人なりに思考ができるバックボーンは作りました。でも、事故1週間では何が何だか分からなかったため、とりあえず電気自動車やオール電化の勢力に対してモノ申したのを思い出します。

水素ができればCO2の問題とかもいけるでしょうし、もしかしたら水素エンジンとかそういうのに転用できないかなぁとも思います。夢広がるなあ。。

FFXがPS3にリマスターで登場らしい。~FF13、ハルヒ、宮崎駿と災害~

アーロンの名せりふ

http://www.youtube.com/watch?v=m0d1HRtsW5o&feature=related

ラストシーン

http://www.youtube.com/watch?v=C0UzBD97AnY

やったことない人にはネタバレになるのですが、3.11以降僕はFFXがいかに災害と言うことをテーマにしていたのか痛感させられました。FF愛好者の端くれの私ですがFFXは別格に大好きなソフトなんですよね。

そのためか、311の後、世情を自分なりに追っている中で、FFX内でのセリフがふと頭に過ることがありました。

「いなくなってしまった人たちのこと、、、時々で良いから・・・・思い出してください。」

この意味が初めて理解できたんですね。ゲームと一緒にするのはいかがなものと言うご意見も出るかもしれません。でも、いざという時のシミュレーションとしてゲーム、特にRPGはバーチャル体験するという点から見てもとてもプラスになると僕は考えています。

さて、3.11のあと、このフレーズに近い言葉が色々流布されていました、いや現状でも一生懸命訴えている方も多いですね。別の話題がメインになってしまっているためにかき消されているという状態でしょうか。

震災を忘れない。

このような感じの言葉が多かったと思います。僕は基本的にナルシストとか偽善とかが大嫌いなのであんまりレトリックとかでキレイごとを並べるのは好きではありませんが、このFFXの言い回しに関しては全面的に支持していますし、周りの友人などにもここは訴えてきています。

思ひだす≠忘れない

なんですよね。忘れないというはかなり人間として生きていくうえで大変です。なにせ僕たちは覚えていることよりも忘れていることの方が圧倒的に多いわけですから。しかし、「忘れない」をキーワードとして訴えられると聞いている側は持続的な支援がとてもしにくい状況になるのではないか、そういう風に感じることがあります。

一時的にでも忘れてしまったというのが一種の罪悪感を小さいながらも植え付けかねないのではないか。そう感じるんですね。

一方で、このFFXのフレーズ。「思い出してください。」という訴え。これは忘れてしまうことを前提にしているんですね。これはとても大切なことです。忘れないとは、最初は100でそこから減点していくような感じです。一方、思い出すというのは、天井なしの加点方式のようなものです。

毎月11日だけでも思い出す、そのとき友達に「あれから何年だね」と言って、思い出す人を増やす。そういうのを習慣化してきた人が増えたなら、たまには1回飲みでも止めて募金してみる(ボランティアさんに現在お金が行かなくなっています)。

この発想って、凄くないですか? くしくも911のある2か月ほど前に発売となったこのFFX。僕の予想ですが、シナリオライターの方は阪神淡路大震災に何かしらの関係があッたんじゃないかという気がしています。災害がどういうものなのか知らないと、おそらくこの感覚は出ないんじゃないかと思います。フェードアウトしていった状態を何かしらで見ていた人なんじゃないでしょうか。

他にも、明らかに災害の中で生きているという前提でアーロンは発言している。

このメッセージはとても素晴らしい。宮崎駿さんはバブル崩壊の後に「生きろ!」と直球を投げました。こういうことをやる人はきっと他にもいらっしゃいます。タイムパラドクスの問題は涼宮ハルヒもそうですが、FF13-2で出ています。過去はやり直せるのか、後悔している何かに対して今自分はどう向き合うのか。「陽だまり彼女」が流行った理由と言うのもその手の輪廻観みたいなものが絡んでいるんじゃないかと言う話も聞いて、ざっと読んでみましたが僕もそういう感じがします。

このタイミングで、FFXが再販される。触発されたゲーマー達がどんな些細な事でも支援に一歩踏み出してくれることを切に祈ります。

 

最後に一部引用=============

(死者)ユウナレスカ「さあ、悲しみを忘れるのです。」

(死者)アーロン「さあ、どうする! いまこそ決断する時だ。死んで楽になるか、それとも生きて悲しみと戦うか。自分の心で感じたままに物語を動かす時だ!」

NTTドコモがiPhoneを展開しない3つの理由

http://japan.zdnet.com/cio/sp_09ohkawara/35018441/

理由の要点をコピペ、一部修正============

1つは、iPhoneが打ち出している垂直統合モデルの手法がドコモの戦略と合致しないという点だ。

2つめは、ドコモ固有(あるいは日本固有といってもいいが)のサービス<おサイフケータイ、ワンセグ>が、iPhoneには搭載できないという点である。

3つめが、アップル側から販売数量のコミットを求められる点

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まず、真顔でこんな返答で何とかなると思っているなら経営者としてちょっと問題があると思います。

1つ目の理由ですが、業界最大手がそんなこと言ってるからガラパゴス化したわけです。そこに風穴あけてくれるかもしれない可能性をお客さんは期待しているわけですから、「いやいや、僕はひきこもりたいんです」という返答はダメでしょう。ドコモの戦略がトンチンカンだから、せっかくの高機能携帯が世界に出て行けなかったと言えます。戦略に合致しないのは自分たちがズレているからということを強く認識していただきたいです。

二つ目については、あんたらいい加減にしろよと言う感じです。そもそも、おサイフケータイやワンセグが付いているからケータイを中々気軽に買い替えられないようなぼったくり価格になっているわけです。余計なもんは取り外せるようにしてもらいたい。最初からパッケージにして無理矢理買わせて、利益を上げようという根性が透けて見えます。東電の値上げと同レベルのひどさです。しかも、この発言は企業としてはあるまじきものだと感じます。なぜなら、サービスの必要・不要は常にお客さんが決めるのが当たり前だからです。要するに、電話やメールなど必須機能以外はそれぞれお客さんのウォンツに合わせてカスタマイズ出来るようにすべきなんですよ。つまり、おサイフケータイやワンセグが要ると思う人もいるでしょうが、iphoneが良いというヒトもいるわけです。その選択は客がするべき判断であって、企業側はよっぽど採算が合わないもの以外は黙ってラインアップに乗っけておくべきです。

3つ目ですが、この社長さんは業界の状況把握してるのか疑いたくなります。顧客を抱えている数はCM出して自分たちの存在をアピールしないといけないどこかと違って、圧倒的に多いのがドコモです。グラフを作ればすぐにわかることですが、他2社とは比較にならない安定ぶり。増えた増えたと叫ぶ必要がないくらいの圧倒的な差です。他の2社は導入して買い替え需要がおきました。ノルマも達成できていることでしょう。アンドロイドケータイにウンザリしているユーザーも多いでしょう。初代ギャラク○ーを使っていると、ひどいときは電話かけようと思ってフリーズします。意味わかりません。ということは、ノルマ達成はほぼ余裕だと思います。にもかかわらず、この逃げ腰態勢って単純にやる気がないだけのように感じます。

以上から、ドコモさんもiphoneは導入した方が良いと思います。

模倣という警告 ガブリエル・タルド 

千夜千冊「模倣の法則」

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1318.html

松岡正剛さんと言う情報整理のプロフェッショナルがいる。所蔵冊数6万冊以上でしかもその本をランダムに指定したとしても、どんな長さにでも要約してしまう方だ。本人はそれを編集と読んでいるようだ。

そんな松岡正剛さんがちょくちょく読んだ本についての見解や感想を述べているのがこの千夜千冊。これだけ読んでおけば大丈夫と言うような代物ではないように個人的には感じているが、もし買った本が難しいと思ったら覗いてみると良い導入になり解釈が深められるかもしれない。

さて、僕も久方ぶりにこの千夜千冊のページに入り、見つけたのがこの「模倣の法則」。正直ぶったまげた。気が付いたらアマゾンで注文してしまった。

今回はとりあえず、この本にあたる前に松岡正剛さんの書かれた文章に対して、僕が3.11から感じていることを備忘録的に書いてみようと思う。

もともと人間は「学ぶ=マネぶ」というようにマネしてできないことをできるようにしていくわけだ。最近、自称子どもを大切に考えている親な人の中には、塾の講師に「私の息子のできないことをやらないでください。」と真顔でいうひとがいるようだが、できないことをできるようにするには、まず教わったことを真似するのが王道だ。できないままにするというのは、マネをしないことなのだろう。そもそも人間、いや生物すべてそうだけれども細胞分裂によってコピーを繰り返す。顔が異なったりするのはコピーミスの結果であるわけだが、それが環境に合っているかどうかで淘汰するのかされるのか決まってくるわけだ。

逆に、どこかのアイドルグループのように似たり寄ったりの人を集めるのも、模倣的な何かを感じる。そういう団体がいると、ピンでやっているアイドルとかがなぜかキレイに見えることもある勢いだ。模倣から外れるというのはそういうことなのかもしれない。話が逸れたので、そろそろ本題に入ろう。まずは下記引用を見ていただきたい。

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第1の理由は、模倣が本来は内面の模倣に依拠していたにもかかわらず、外面的な模倣ばかりが広まって、思想と趣向、慣例と要求とのあいだに大規模な均質化がおこってしまったことである。

第2の理由は、巨大な戦争と巨大な企業が、勝手に模倣と類似を独占しすぎたということだ。

第3の理由は、・・・近代社会は個人の模倣力や連想力を放棄して、それを代行者に委ねすぎたのではないかというのだ。タルドはそこに「普通選挙」と「統計学」の功罪も加えた。

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驚愕したとはまさにこのことだろう。何せ書かれた時代が19世紀末~20cに差し掛かる時期なのだから、壮絶だ。

僕個人として言うのなら、友人が被災地の支援をしているのだけれども、その彼と2011年6月くらいに話した内容が思い出された。いきさつ省くけれど僕は彼と、選挙というのは個人個人がちゃんとまず自分で考えた結果を持ったうえで、選挙演説を聞き、似た意見を持つ人に投票するというのが大前提で、それができない人が投票するとしょうもない感情論とお金をクレクレ詐欺状態なる、そういう話をした。まさにこの話とドンピシャなのがタルドの指摘だった。

まず上記の第一の理由を具体的に考えてみると、これはマーケティングとかで有名な話にドリル会社の社長さんの話がある。社長さんは「客はドリルを買ってるんじゃない。ドリルで空ける穴を買うんだ」というエピソードなのだけれども、要するにドリルが外面的、穴が内面的なこととして考えると分かりやすいのではないかと思う。本当に必要としているお客さんの心理は「穴をあけたい」ということであるけれども、ドリルを売るという見た目的な感じに走るとデザインとか、その辺で話が落ち着いてしまう。もし穴をあけるという所にスポットを当てられたら、穴を必要としないと思っていた人に、実はこんなところに穴を作ったら便利だよと提案すれば当然売れるようになる。売れ行きドリルの外装を真似するのでなく必要なところにあけられる穴をマネしないと意味がないわけだ。

そこで2つ目の理由になる。こういう話をすると当然お客さんは買っているのか買わされているのか、必要なのか本当はいらないのか。消費社会の問題が浮き彫りになってくるわけだけれども、今回はそこを半分置いておくとしよう。大切なことは、企業がどうしたいかというのがメインになっているということで、主導権が向こうにある。そして、それに対して受け身になっているのが客ということである。本来こういうものが欲しいから、店は提供するはずなのに、気が付けば主従が逆になっていることに気付く。客側も次第に自分で考えることを放棄し、ある者から選択するようになる。選択とは実は徹底的な受け身なのだけれども、最近の自己啓発バカは「選択」を連呼したがる。自分の中身を洗濯した方が良い気がする。ここに第三の理由がくっついてくるわけだ。

戦争の話しが飛んでいると思うかもしれないけれども、最近じゃそれを「競争」という。グローバル化というのは、世界大戦なのだけれども、爆弾やミサイルのような派手で分かりやすいものでなく、実弾はお金。ただの情報だから見えにくい。だから、水面下のような形で話が進む。ペニスがおでこに付いた子供が南アフリカで生まれたらしいが、ベトナム戦争の除草剤での身体障害を思い出す。たぶんなんかあぶない薬とか市場原理の名の下に放棄されているんじゃなかろうか。

さて、話を戻すと、要するに日本の選挙の姿勢が徹底的な絶望的姿勢のもとに行われていることを、100年前にタルドは看破してくれていたということだ。

そりゃ、僕もこの本買うよ。高かったけど。。。