模倣という警告 ガブリエル・タルド 

千夜千冊「模倣の法則」

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1318.html

松岡正剛さんと言う情報整理のプロフェッショナルがいる。所蔵冊数6万冊以上でしかもその本をランダムに指定したとしても、どんな長さにでも要約してしまう方だ。本人はそれを編集と読んでいるようだ。

そんな松岡正剛さんがちょくちょく読んだ本についての見解や感想を述べているのがこの千夜千冊。これだけ読んでおけば大丈夫と言うような代物ではないように個人的には感じているが、もし買った本が難しいと思ったら覗いてみると良い導入になり解釈が深められるかもしれない。

さて、僕も久方ぶりにこの千夜千冊のページに入り、見つけたのがこの「模倣の法則」。正直ぶったまげた。気が付いたらアマゾンで注文してしまった。

今回はとりあえず、この本にあたる前に松岡正剛さんの書かれた文章に対して、僕が3.11から感じていることを備忘録的に書いてみようと思う。

もともと人間は「学ぶ=マネぶ」というようにマネしてできないことをできるようにしていくわけだ。最近、自称子どもを大切に考えている親な人の中には、塾の講師に「私の息子のできないことをやらないでください。」と真顔でいうひとがいるようだが、できないことをできるようにするには、まず教わったことを真似するのが王道だ。できないままにするというのは、マネをしないことなのだろう。そもそも人間、いや生物すべてそうだけれども細胞分裂によってコピーを繰り返す。顔が異なったりするのはコピーミスの結果であるわけだが、それが環境に合っているかどうかで淘汰するのかされるのか決まってくるわけだ。

逆に、どこかのアイドルグループのように似たり寄ったりの人を集めるのも、模倣的な何かを感じる。そういう団体がいると、ピンでやっているアイドルとかがなぜかキレイに見えることもある勢いだ。模倣から外れるというのはそういうことなのかもしれない。話が逸れたので、そろそろ本題に入ろう。まずは下記引用を見ていただきたい。

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第1の理由は、模倣が本来は内面の模倣に依拠していたにもかかわらず、外面的な模倣ばかりが広まって、思想と趣向、慣例と要求とのあいだに大規模な均質化がおこってしまったことである。

第2の理由は、巨大な戦争と巨大な企業が、勝手に模倣と類似を独占しすぎたということだ。

第3の理由は、・・・近代社会は個人の模倣力や連想力を放棄して、それを代行者に委ねすぎたのではないかというのだ。タルドはそこに「普通選挙」と「統計学」の功罪も加えた。

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驚愕したとはまさにこのことだろう。何せ書かれた時代が19世紀末~20cに差し掛かる時期なのだから、壮絶だ。

僕個人として言うのなら、友人が被災地の支援をしているのだけれども、その彼と2011年6月くらいに話した内容が思い出された。いきさつ省くけれど僕は彼と、選挙というのは個人個人がちゃんとまず自分で考えた結果を持ったうえで、選挙演説を聞き、似た意見を持つ人に投票するというのが大前提で、それができない人が投票するとしょうもない感情論とお金をクレクレ詐欺状態なる、そういう話をした。まさにこの話とドンピシャなのがタルドの指摘だった。

まず上記の第一の理由を具体的に考えてみると、これはマーケティングとかで有名な話にドリル会社の社長さんの話がある。社長さんは「客はドリルを買ってるんじゃない。ドリルで空ける穴を買うんだ」というエピソードなのだけれども、要するにドリルが外面的、穴が内面的なこととして考えると分かりやすいのではないかと思う。本当に必要としているお客さんの心理は「穴をあけたい」ということであるけれども、ドリルを売るという見た目的な感じに走るとデザインとか、その辺で話が落ち着いてしまう。もし穴をあけるという所にスポットを当てられたら、穴を必要としないと思っていた人に、実はこんなところに穴を作ったら便利だよと提案すれば当然売れるようになる。売れ行きドリルの外装を真似するのでなく必要なところにあけられる穴をマネしないと意味がないわけだ。

そこで2つ目の理由になる。こういう話をすると当然お客さんは買っているのか買わされているのか、必要なのか本当はいらないのか。消費社会の問題が浮き彫りになってくるわけだけれども、今回はそこを半分置いておくとしよう。大切なことは、企業がどうしたいかというのがメインになっているということで、主導権が向こうにある。そして、それに対して受け身になっているのが客ということである。本来こういうものが欲しいから、店は提供するはずなのに、気が付けば主従が逆になっていることに気付く。客側も次第に自分で考えることを放棄し、ある者から選択するようになる。選択とは実は徹底的な受け身なのだけれども、最近の自己啓発バカは「選択」を連呼したがる。自分の中身を洗濯した方が良い気がする。ここに第三の理由がくっついてくるわけだ。

戦争の話しが飛んでいると思うかもしれないけれども、最近じゃそれを「競争」という。グローバル化というのは、世界大戦なのだけれども、爆弾やミサイルのような派手で分かりやすいものでなく、実弾はお金。ただの情報だから見えにくい。だから、水面下のような形で話が進む。ペニスがおでこに付いた子供が南アフリカで生まれたらしいが、ベトナム戦争の除草剤での身体障害を思い出す。たぶんなんかあぶない薬とか市場原理の名の下に放棄されているんじゃなかろうか。

さて、話を戻すと、要するに日本の選挙の姿勢が徹底的な絶望的姿勢のもとに行われていることを、100年前にタルドは看破してくれていたということだ。

そりゃ、僕もこの本買うよ。高かったけど。。。

 

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