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鼻の付け根が

ムズムズする。。

5月31日 9:45くらい

6月1日8:34

6月13日20:26

14日 10:30くらい

18日18時くらいから22じ40分現在ずっと継続中。

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【考察】【ネタバレあり】劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語

ようやく時間が取れてみることができました。

すでに様々な考察がネット上にもあるようで、今更な気もするのですが僕なりに気づいたことをメモも兼ねて残させていただきたいと思います。

もともと、アウトサイダーアートのような背景が目立つ「まどマギ」でしたが、僕もこれは精神障害の方が描く絵が元になっているのではないかという気がしていました。また、顔が切れたりするのシーンがありましたが、恐怖映画とかでもよく使われる手法で写真でホラーの元になった人の写真の顔の部分が傷ついていたり、破られていたり。ほのかが絶望するときそんなシーンがちらっと入っていたのでおそらくその辺の要素はあると思うんですね。

そういう意味では、最後にエントロピー最大になり宇宙の法則を作り替えたまどかは世界そのものを再構築するという点で考えると、ゼロ年代的な要素がとても強い終わり方していたような印象がありました。ところが、今回の劇場版はむしろそこをひっくり返す感じが強かったように感じます。

と言いますのも、まどかを起点にほのかが時間を巻き戻してまどかにエントロピーが集約していくという話しを聞くと、自動的にもう一人にもエントロピーが集約してもおかしくないだろうと個人的にはツッコミを入れたかったからです。ほのか自身にエントロピーが集約してもオカシクなかった。むしろ、情報を保持したまま、同じ時間帯を別の生き方を繰り返し記憶を貯め続けていたほのかに貯まる方が自然ではないか。そう思っていました。

ほのか自身、暁美という苗字からマージナルな存在で、境界を渡り歩く運命にあるのでしょう。ワルプルギスの夜自体が他の方が書いてくださっているように、夜明けや春の訪れと関係がある、言い換えるなら時間的な境界性にかなり関係がある儀礼のようです。

映画前作が出たとき、その辺りに触れられるかと思ったら、まぁアニメの巻き直しw ある意味時間を観客も逆行したような感覚に襲われましたけどww

自分たちの世界の中で楽しむ、一人一人の世界というのがゼロ年代のテーマだと思いますが、アニメでは魔法少女という形で卵に自分を封じ込めます。今回はその逆で中から殻を打ち破るというのが中盤まで大筋でしょう。変身シーンにおいても、自分の肉体をぶっ飛ばしたり破って中から出てきたりする感じで魔法少女になっていたので、最初見たとき精神疾患の背景を前提として見てた僕としては少々やり過ぎなんじゃないかと思ってしまいました。肉体捨てて、デジタル空間に身を置いているように感じたからです。元々、殻に精神が閉じこもり、肉体をアバター化して戦う魔法少女ですが、これは後に殻の中の世界で自由に動いているという話しになったので、むしろなるほど〜と思いました。

先ほど、ホラー映画の常套手段について書きました。映画全般で画面いっぱいに丸い円が出るときは目玉のメタファーである場合が多く、今回の劇場版まどマギでも出だしでそんなシーンがありました。キューベーがちょくちょくチラ見していたので、監視してるのしらばっくれてるなとは感じてましたが、そこで気がつけば良かったんですが、殻の外の世界で監視してるキューベー見るまで気づけませんでしたw

こういう世界の入れ子構造が宇宙規模に広がり、その宇宙の円環そのものであるまどかが具現化したとき、全部=部分というパラドキシカルな式が成り立ちつつ、全を取り込む部分であるはずのほのか。クラインの壷やメビウスの輪的な構造であり、この辺りはドゥルーズの器官なき身体のような印象も感じました。僕もドゥルーズ自体難しすぎてちゃんと読めていませんが、器官なき身体に関係ある概念で欲望する機械というのがあり、ふと思い出したのが、

欲望する機械 Jean Tinguely : Méta Harmonie IV – Fatamorgana, 1970

のように歯車で表現されたアートです。時計とこの作品をかけたと考えるとなんか納得できます。もともと虚淵玄さんは「サイコパス」でフーコーのパノプティックな社会を描いていたと思いますし、ドゥルーズとも比較的親和性があると考えられます。となると、陰陽のようなほのかとまどかの構図からすると、最終的にワルプルギスの夜という魔女は、ほのかになる気がします。どこまでも妄想がひろがりますw

生命の樹っぽい矢が卵を壊し、世界との道筋をつけ、後半のほのかが悪魔化するという話しは、第一級の天使であった神にとってかわろうとしたサタンが悪魔に落ちるのと同じだとおもいますが、その原動力が「愛」というのは、なんとなく資本主義的なニオイもします。家族とよりよく生活するために仕事していたはずが、会社のためになり、家族バラバラ離婚。子育てはコスト扱い。愛が私欲と区別つかなくなるとそうなるんでしょうか? 新自由主義のスマホメディアで孤立化していく人たち。友達目の前にいるのにいないかのようにメールしたり、FBみたり、記憶を失う仲間とほのかのラストシーンがなんとなく重なりました。とりわけ、バッサリ隣が土地ごと消えているのは印象的です。後悔をもとに過去を見つめる可能世界はハルヒなどにもありました。ドンドンそこから出られなくなり、繰り返し繰り返し見つめ続け、外に向ける視野を失っていく。時に自殺願望にもつながるようです。それが愛だったときにその相手へのアプローチが出てくるし世界そのものの認識も変化しますが、まずまどかのほのかも含めた愛が宇宙をつつむ前提が必要で、それあってのカウンターパートという感じでしょうか。次回作に期待ですね。

それにしても、これってそういう意味では逆にカタルシスとか起きる人がおおくなりそう。。

あんまりまとまりのない駄文で申し訳ありませんでしたが、最後まで読んでくださってありがとうございますm(_ _)m

メガクエイク【長時間地震動編】見て

長時間地震動 というと難しく見えますが、要するにあのなが~~~いゆらゆらする地震のことですね。一個の震源ではなく、一か所大きなところが起きたらそれをキッカケに、連続的に同時多発で数か所(今回は5カ所だったようです)でプレートが動いてそれが重なり、何分も揺れ続けるということが起きるようです。

こういう場所を、強振動生成域 というようになったようです。一回目の大きな地震でダメージを受けた部分に連続的に波状攻撃でダメージをドンドン拡大させていくので始末が悪い。20年くらい前(要するに、阪神淡路前の建築基準法)の建物だと1分以上の揺れを前提にしていないので余計にまずいそうですが、1分どころか何分あったんだよって体験している私たちとは、建築基準法の意義を考え直さないといけない気もします。要するに今の法律の水準って、これを満たしてればギリギリまでコストを下げてしまえって言っているようなものじゃないですか。

でも、それって生活を守るものと考えるとどうなんでしょう? アベノミクスとかいうなら、まずこういうところを指摘すべきなんじゃないかと思います。原発の現状もメディアはもっと出すべきでしょう。NHKも宇宙から地球がキレイに撮れたと自慢する例の高感度カメラ。あれこそ暗い原発事故の場所に活用できないもんですかね? 宇宙から小さな窓でハンディカムで撮ってませんでしたか??

話がそれました。波状攻撃は様々な規模でダメージがあらわになっているようです。例えば、

・液状化した後の土地で地滑りが起きる

・建物のコンクリがはがれ、その後鉄骨がむき出しになる

などです。

また、堆積層の方が揺れやすいというのも分かってきたようです。堆積層に、揺れやすい柔構造が重なり、さらに高層階だと三重苦ってことになりそうです。。

こういうところも色々考えていかないといけないと改めて実感させられます。

メガクエイクⅢ【活断層編】を見て思うこと

NHKが頑張ってるドキュメンタリーシリーズの一つにメガクエイクというものがあります。気が付けば、第三段ですが、回を増すごとに地震学者との連携から一般人が中々見られないデータをグラフィック・アニメーションで提示してくれるのでありがたい番組ですね。

いまのところこのMegaQuakeⅢは断層と長時間地震動というテーマで二回やっていて、先ほど録画した二つを見終わりました。そこで気が付いたことをメモがてらに書いていこうと思います。

【活断層】(渋谷駅の疑問/番組概要メモ)

=渋谷駅への疑問=

まず、阪神淡路大震災の時、ズレた断層が上空から確認できるだけで10㎞くらい続いていたそうで、地下では40㎞くらい続いているんじゃないかという話でした。映像を見るとズレ幅は30㎝位のところもありそうです。

ここで気になるのが、安藤忠雄さんの東横線利用者数や車イスの人などを無視しているとしか思えない副都心線渋谷駅。確かこの渋谷あたりの半蔵門線だったと思いますが副都心線との立体交差って一番近いところで5㎝くらいという話を聞いたことを思ひ出します。

地盤が10㎝ズレた時点でここのトンネルに問題が起きると思うのはオオゲサでしょうか? 僕はそうは思いません。なにせ東日本大震災では2mもズレたところがあるそうです。地下鉄というのは、地震に強いということですがいくらなんでも想定が甘すぎるような気がします。自動的におそら渋谷近辺で電車が止まってしまうことでしょう。

渋谷駅は明らかに欠陥だらけで、とりわけキャパシティが絶望的に足りません。さて、この状況下であの大きな東横線の旧渋谷駅の人数と副都心線側から入る人数が集中するとなると本当に緊急時に地下鉄って使えるんでしょうか? 非常時対応する前提のインフラはやはり余裕をできるだけもって建築することが肝要だと思います。が、それがないように感じます。技術があるのとひけらかすのは違うんじゃないかと思います。ギリギリまでコストを落とせるとか、近づけても大丈夫とか、自分たちの宣伝のために乗客にリスクを投げるのっておかしくないですか?

ついでに言うと、水が集まる渋谷駅です。きっと地層にも水があちらこちらに貯まっていると思います。下水も含めて(今新しくデキた地下通路はなんか臭い)。地下で立ち往生とかホントに良いんでしょうか?

 

=そのた番組概要メモ=

震源断層 と 堆積層 。硬い岩盤である震源断層を堆積層が覆いかぶさって探しにくくなっているようですね。そもそもプレートの境目は一方がもう一方の下に潜っていき、潜られているプレートが段々擦れて撓んでさらに押されて断裂したり、限界がきたらバンッっと戻ると考えられていたようです。ここまでは教科書道理だと思います。ところが、東日本大震災ではプレートが戻った時勢い余って、今度は押されていた場所を逆の方向に引っ張ってしまうことがあり得るということですね。

結果、見えてきたと思われていることが、震源400㎞圏の帯(映像から判断すると北海道ナンタン~青森、新潟~富山、長野、静岡~横浜、東京湾~千葉南部くらい?)では隆起が起きているようです。個人的には400㎞圏というより、パッと見た感じだとやはりプレートの境目が主だった気もしました。これはとても重要な指摘だったように感じます。

水は液状化の問題もあって、NZのクライストチャーチでは泥土が湧いてきたりもしていたようです。過激派発言のじいさんが長々東京都に居座っていましたが、騒いでる前に都心の地下にある埋め立て部分の水を抜いておくべきだったんじゃないかと思います。

大坂を縦断する上町断層帯も大分延長されてましたね。湾岸くらいまで伸びていたのはやはり怖さを感じます。結局日本は山だらけということですが、もともと地殻変動部分にできている以上、平野部って基本断層帯なんじゃないのっていう元も子もない結論が最終的に出てくるようなにおいも感じました。

ただ一つこの出し方は良くないなぁと感じたことは、世界の地震における建物の崩壊映像を並べて出したことですね。これは僕としてはいただけません。なぜかと言うと、耐震構造が根本的に異なるからです。日本の建築はやはり諸外国よりもしっかりしているので、外国で建物が倒壊する地震でも日本なら大丈夫だと思うこともあります。もちろん警戒は必要ですが、並列するのはどうかと思います。

あと、先日の淡路島の地震のときもそうですが、地震の規模、マグニチュードも、震源まではありましたが揺れ方(タテ/ヨコ)が無かったのは津波に対する意識がメディアにまだ弱いのではないかと思います。このあたりは私たち一人ひとりがしっかり意識して、指摘すべきことのようにも思います。

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95:阪神淡路 99:台湾 00:鳥取/チリ 05:福岡 07:能登 09:駿河

日本の列車・ロンドンの電車

ふと思ったこと。

実は先月の頭にロンドンにいました。そこで電車を乗っていて気が付いたのが、オリンピック関係でバリアフリーにしてたりした新しい路線の電車には、向かい合って4人ですわれる座席が供えられていたということ。

最初、僕はこの椅子を見たときに、込み合うことが予想される電車なんだから普通に日本の電車のように座席を横並びに配置した方がいっぱい乗せられるんじゃないかと思っていました。(※ロンドンの地下鉄はこっちと似たような感じでした。外国人がたくさん乗るであろう配慮なのかもしれません。)

でも実際その座席に座ると、向かい側が空いていたら合席になるわけです。ロンドンで驚いた事の1つに気軽に相手が「何か困ることある?」「どこ行こうとしてるの?」など聞いて来てくれるということ。そして、親切に教えてくれるんですね。

その挨拶があったら、目的地に着くまで一緒にだべるわけです。

日本に帰ってきてから電車で見ず知らずの人に話しかけられたことなんて一回もありません。

孤独は人の間にある

なんて聞きますが、一つは電車がただ人を運ぶだけの場、もっというなら労働力と言う名の荷物を運ぶだけの場になっているのではないでしょうか。ロンドンでは駅で次の電車が後何分で来るというのは表示されますが、そもそも時刻表が置いていません。よくよく考えたら必要ないのに、その通りにならないとイライラする日本人の情けなさ。そのくせ、サービス残業など仕事の終わる時間は全く無視。なんだこれ?

これは本当にもったいないし、日本の暗い先行きを暗示しているように感じました。